はじめまして!ちん兄と申します。
「ちんにい」って読みます。
現在はギタリストであり、マーケッターであり、ちょっとしたエンジニア、デザイナーでもあります。
自身のバンドはプロとして都内有数の大ホール(赤坂Blitzなど)に立つぐらいには頑張っていたのですが、メンバーの都合があり解散。
その後、これまでのノウハウを生かし、主に若手バンド向けにマーケティングの手伝いや音源ジャケットのデザイン、レコーディングエンジニア、サポートギターなど、いろいろやっています。
規模は大きくないですが、ギター教室もしています。
とまあ、前置きはさておき。
まずは、お礼を言わせてください。当ブログを閲覧していただき、ありがとうございます!
ここではプロフィールということで、僕という人物がどんな人間なのかちょっと詳しく紹介させてください。
赤裸々な過去をお話ししています。楽しんで読んでもらえるとありがたいです(笑)
少し長いですが、お付き合いください。。
音楽を始めたきっかけは「地獄から抜け出したい」
僕は1991年の冬に、埼玉県で生まれました。
幼稚園、小学校時代は本当に平凡で、お笑い芸人になりたいとか、漫画家になりたいとか、そんな夢を持っていました。
今思えば、きっと人を喜ばせたり、楽しませることが好きだったんだと思います。
芸人に憧れていただけあり、四六時中アホなことばかりをしていました。
しかし、あるとき転機が訪れます。
当時大ブームとなった少年向けテニス漫画がありました。テ○プリです。
瞬く間に同級生たちはテニスラケットを持つようになり、当然僕も仲間に入りたくなります。両親におねだりしてラケットを買ってもらい、ものすごい熱中しました。
テニスに夢中になった僕は思いました。
「中学に上がったらテニス部に入りたい。硬式テニス部。」
しかし残念ながら地元の公立中学には硬式テニス部は無い。
そこで僕はある決意をします。
「中学受験だ」
毎日猛勉強。泣きながら勉強しましたが、全てはテニス部のため。
そしてなんとか。なんとか。
家から一番近くて硬式テニス部がある、中高一貫の進学校に入ります。
これが地獄の始まりでした。
なぜ地獄か。
もちろん、念願の硬式テニス部に入り、最初は楽しい楽しい学園生活でした。まるで絵に描いたように。
でも、何か違和感があったんです。
しばらくの時間を費やしました。
そして、完全に違和感の正体を突き止めます。
「ウチの学校、女子いねぇじゃん・・・」
そう、憧れのテニ○リの世界には女子がいました。主人公が女子たちにチヤホヤされていました。
しかし入った学校は中高一貫の男子校。
もちろん分かってて受験してますよ?
でもちょっと成長の遅かった僕は、あとになってから成長期・思春期が来て、男子しかいないこの学園が地獄にしか感じなくなってしまったのです。
中学上がった頃って、男子ならみんなエッチなことを考えまくる年頃じゃないですか。
僕もそうだったわけで、「なんで男しかいないわけ?」「ここで6年間も生活できるだろうか・・・」と考えるように(笑)
もう絶望そのものでしたね。
しかし、入ってしまってからはどうしようもなく、勉強と部活だけを淡々とこなす日々が続きました。
心の中では「彼女ほしーーー」と叫びながら、時は巡り、高校1年生になります。
高校生にもなると、本格的にモテたいと思いました。
ちょっとワルな感じがモテると聞いて、部活もサボりがちになります。
考えてるのはずーーーーーっと、
モテたい、モテたい、モテたい・・・
彼女、彼女、彼女・・・
出会い、出会い、出会い・・・
そしてある日、天からひらめきが降ってきます。
・・・!!
文化祭、、、文化祭だ・・・ッ!!
そう、そのひらめきとは、文化祭で出会った女子をナンパする、というものでした。
「この学校で唯一大量の女子が来るイベント、文化祭!これに賭けるしかない!!」
〜〜〜 めちゃめちゃ気合を入れて、文化祭当日 〜〜〜
今日こそ、この地獄の日々に終止符を!
そう心で誓い、僕はナンパを仕掛けに行きました。
しかし。
いざ女子に話そうとすると、もう声が出ない。
声が出ても、まったく普通に喋れず、変人扱い。
早い話、同年代の女の人とどう喋ればいいのかわからなくなっていたのです。
無理もないんです。仕方なかったんです。今思えば。中学から3年半、喋った女性はお母さんとおばあちゃんくらいでしたから。
本当に本当に、絶望しました。
「3年半でここまでヘタレになってしまっていたのか」
「こんなにも自分にとって女は遠い存在なのか」
もう全てを諦め、「この監獄のような学校で静かに暮らしていこう」、そう思いながらフラフラしていると、
何やら音楽が聞こえる。ああ、後夜祭か。
せっかくだから参加するかな。と後夜祭会場の校庭に行くと・・・
そこでは、1つ上の先輩たちが、ライブしていました。
このとき初めて、ライブというものを生で見ました。
「すごい。か、かっこいい・・・」
めちゃめちゃ引き込まれたのを覚えています。
しかもよく見ると、
あ、あれ???
「大勢の女の子たちが最前列にいる!!!」
さっきまでテンションが地の底まで下がっていたのに、その光景を見た瞬間、爆上がり。
もうこれしかない。俺はこれをやるべきなんだ。
完全に音楽の力に圧倒された瞬間でした(不純)
そして、陽も落ちてきて文化祭が終わり、帰りの支度をしていたとき、たまたまクラスメイトで歌うのが大好きなK君と鉢合わせます。
K君「先輩たちのライブ、すごかったねー」
僕「ね。女子からもキャーキャー言われてた」
K君「いやー、実際かっこよかったもん!」
僕「・・・」
K君「? どうしたの?」
僕「なあ・・・バンド組まない?」
これが僕の、音楽との出会い。
音楽を始めたのは、モテたかったから。先輩がかっこよかったから。
少年はギターにのめり込み始めます。
そして少年は青年になり、大志を抱く
時は流れ、大学。
え?その後の高校生活?バンド組んで、高2の文化祭のライブで、キャーキャー言われましたよ。ボーカルがね。
まあでも、あれだけモテたくて始めたバンドでしたが、やってみると音楽の面白さにハマってしまい、モテなくても平気になっていました。
大学ではやはりバンドのサークルに所属し、狂ったようにバンド漬けになります。
コピーバンドがメインのサークルでしたが、
大学4年間でおよそ120のバンドを組みました。
毎月必ずライブがあり、いつも4〜5曲演奏するような感じ。ライブごとにメンバーが変わり、コピーする音楽も変わる。
1回のライブイベントで何個も掛け持ちでバンドを組んだ結果、こんな数字になっていました。
今、数字だけみるとえげつない・・・(苦笑)
ジャンルはオールジャンル、メンバーも変わるから、本当にいろんなジャンルの音楽をやれたし、いろんな人と組んでめちゃくちゃ学べたと感じています。
で、そんだけバンドやっていた中で、当然オリジナルのバンドも組みたいと思うようになります。
そしたらたまたま、高校時代バンドを組んでた、例のK君に声をかけられたんです。
K君ってエスパーなのかな?
と本気で思いました。文化祭の時といいタイミング良すぎだろ。
それはさておき。
ありがたいことに、K君の大学メンバーでオリジナルの3ピースバンドを組んだけど、もう一人ギターが欲しいということになって、K君が「いいやつがいるよ」と紹介してくれたらしい。
もちろんK君の誘いだし、即OK。
もうひたすら面白い。オリジナルってめっちゃ楽しい。
まあそんな感じで楽しくやれてたわけなんですが、ある時メンバーからこんな話が。
「あのさ、俺プロになりたいんだ。このバンドで。」
衝撃的でした。プロなんて、正直なれたら楽しいだろうなとは思っていたけど、目指したいという意思はなかったから。
でも、そうか、音楽と生きていくことができたら、素敵だなあ。
音楽と生きていく。音楽で生きていく。
冷静に、この時「超かっこいいな」と思ったんです。
他のメンバーも似た考えだったようで、僕たちはプロを目指すことにしました。
小学校以来にできた、「夢」です。
悪戦苦闘の末、ゼロから生まれたもの
とはいえ、このとき僕らは大学生活も後半に差し掛かってきた頃。
ベースのB君と、ドラムのH君は早めに就職先が決まっている状態でした。
バンドは何かとお金がかかるので、とりあえず全員就職して、社会人をやりながらも本気でバンドをやろう、という結論になりました。
俗に言う、社会人バンドです。
そして目まぐるしい生活が始まりました。
みんな週5以上は働いて、休日にスタジオ練習。
空き時間に作詞や作曲、S N S、ブログ。
ライブは、平日なら有休とって参加。
ツアーやレコーディングは、半休とかを上手に活用。
MV、CD、グッズの製作。デザインはお金かけずに僕が担当。
本当にキツかった。キツかったけど、仲間と一緒だから頑張れたし、小学校以来にできた「夢」に向かって頑張りたいと思ってやっていました。
そうやって地道にやっていたある時、嫌なことが起こったんです。
その日はライブ。雨の日だったのを覚えています。
なんと、自分たちのお客さんが一人も来なかったんです。
台風とかではないんですよ。普通に雨。
行くと口約束してくれていた友人さえもキャンセル。
本当に悲しい、まさに事件でした。
今まで、そもそもお客さんは少なかったんです。毎回呼べて10人とか。
ただ、危機感が足りていなかったんです。まさかこんな日が来るとは思ってもみませんでした。
そして、確信しました。
「曲には自信があるし、このまま地道にやっていればそのうちファンが増えてプロになれる」と思っていたけれど、それは大間違いの幻想なんだ。
と。
きっと、心のどこかで、ナメていたんだと思います。いずれプロになれると。
でも、認識が甘かったことを痛感しました。
メンバー全員で、この日の悔しさを糧に、さらに全力で頑張ることを誓った、記念日です(笑)
幻想を打ち砕かれてからは、何を頑張るべきかを徹底的に話し合いました。
曲に自信があるんだから、やはり課題は集客。
その集客をどのようにやっていくのか、有名になったバンドの研究をしたり、ビジネス書を読んだり、いろいろと試しました。本当にいろいろやった。
決して楽ではない、簡単ではなかったです。
試して、分析して、試行錯誤の繰り返し。
時間的にもそれなりにかかってしまいました。
しかし、いつからかだんだんと結果に結びつき始めたんです。
少しずつですが、ライブに来てくれる人、グッズを買ってくれる人、音源を買ってくれる人、ホームページの閲覧数、これらが増えていきました。
0人だったお客さんは、いつしかライブのチケットノルマを余裕でクリアできるように。
その後もお客さんは増え続け、ライブハウスがパンパンになるほどのイベントを幾度となく経験することができました。
さらには、念願だった大きなステージの代表格のひとつ、赤坂Blitzでの出演を果たします。
もう、この日は一生忘れられないです。
こういった大きいステージでの出演もやっていくうちに、僕らにまた、ある事件が起きます。
今度は嬉しい事件です。
気づけば僕らはプロになっていた
その事件とは、なんと、
とある事務所・レコード会社からメジャーデビューしないか?とお声がけいただいたのです。
純粋に嬉しかったです。なんだか世間に認められたような、なんとも言えない達成感のようなものが込み上げました。
しかし、ここで問題が。
僕らはこのときも会社員であり、メジャーデビューするならそこを辞めることが条件。
少し悩んだ結果、僕らは結論を下します。
「メジャーデビューしません。」
メジャーデビューすることのメリット・デメリットを天秤にかけ良く考えた末の結果でした。
人それぞれ、バンドそれぞれの考え方があると思いますが、僕らはメジャーデビューはしませんでした。
そして、このときふと考えたことが、
メジャーデビュー = プロ は成り立たないのではないか。ということ。
プロって何かな?と考えたとき、僕らが出した答えは、
「お客さんからお金と時間をいただいて、それに見合った価値のあるものを提供し、生きていくこと」
つまりメジャーに行かなくても、プロにはなれるということです。
そして、その理論で言うと僕らはとっくにプロになっていたんですね。
このまま、もっともっと大きいステージを目指して、プロとしてやっていこう。そう思い、僕らはスタイルを変えず走り出します。
解散、そして今
そうして活動していた僕らですが、残念ながら解散となってしまいました。
理由は、メンバーの家庭の事情です。。。
メンバーチェンジも考えました。が、この最高のメンバーでなければやりたくない、という意見もあり、解散という結末を迎えました。
悔しい気持ちもあるにはあります。ですが、ここまで全員仲良くやってこれたこと自体が奇跡に近いので、満足もしています。
とにもかくにも、こうして僕のバンド生活は幕を閉じました。
今のバンド活動はというと、知り合った仲間と趣味でやったりする程度で、プロとしての活動は一切やっておりません。
前のバンドを超えられると思えるメンバーと出会えたら、やるかもしれませんが(笑)
代わりに、これまでのノウハウを生かし、マーケティングに力を注ぎたいと思っています。
かつての僕のように、絶望を味わった人を救いたい。できれば早く。
そんな思いで、このブログと、ブログ内でご案内しているメルマガを作りました。
お客さんが0の状態からでもプロにはなれる。
音楽と生きていける、音楽で生きていける。
僕ができたように、あなたにもできます。
そんな意味を込めて、ゼロから始めるバンド・ギター生活と命名しました。
できる限り初心者の方でも入り込みやすく作っていくつもりです。
確実に役に立つノウハウを、余すことなく提供するつもりです。
そして、このブログとメルマガを、生かすも殺すもあなた次第です。
ご活用していただければ、きっと僕のように音楽による幸せを感じられると思います。
あなたも、音楽とともに歩む豊かな人生を、送りませんか?
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かなりの超大作となってしまいました。すみません(汗)
最後まで読んでくださり本当にありがとうございます!
ですが、自己紹介を通じて、僕の想いが伝わってくれていれば、幸いです。
このブログ、メルマガを通して、あなたが音楽で豊かに人生を送れるよう、心から願っております。
それでは、ブログ、メルマガでお会いしましょう!
※現在メルマガは停止中です。申し訳ありませんが再開までしばらくお待ちください。